ビリギャル著者の坪田先生が1300人以上の生徒と向き合ってきて、「個人の才能の伸ばし方についての具体的なメソッド」をまとめたのが、この本だ。
ぼくも教育や教え方については、たくさんの本を読んできたけど、その中でもこの本は特に勉強になった!
良い本だったので、メモしたいところのページの端を折っていったら、たくさん本に折り目がたくさんできた↓
この記事の目次
本日の読書「才能の正体」坪田信貴(著)
(ビリギャル著書)坪田信貴さんとは
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称:ビリギャル)がベストセラーに。
教育者、経営者。これまでに1300人以上を「子別指導(造語)」し、心理学を用いた学習指導により、偏差値を短期間で急激に上げることで評判になっている。
2018年6月吉本興業の社外取締役に就任。活動の幅を広げている。
坪田信貴さんオフィシャルブログ→「意思あるところに道は開ける」
坪田先生の考える「才能の正体」とは
- 「才能とは、生まれつきの能力だ。」この一文に違和感を覚える人はいないと思います。
- 「才能=能力」ではありません。
「能力」というのは、コツコツと努力を続けられれば、誰でも身につけることができます。
この「能力」が高まっていくと、人よりも飛び出たり、尖ったりする部分が出てきて、やがてそこが「才能」として認められるのようになるのです。- 「才能がある」と言われる人に共通しているのは、”正しいやり方”を選んでちゃんと努力をしていること。
坪田先生の「才能」の考え方。
才能は、能力を高めた先にあるので、能力を高めてから、はじめて人それぞれの「才能」があらわれる。
誰でもできる「能力を高める努力」もせずに、「才能がない」って嘆いてあきらめている人が多い。
できる人は、できない人の気持ちがわからない
「 頭のいい人や出来のいい人の言葉は、聞く意味がない」と僕は思っています。
”すごくできている人”って、自分がどうしてそれができているのかがよくわかっていないのです。なぜなら、できないことで悩んだことがないから。
”悩まなくても、できてしまっている人”には、それを上達するための説明はできないのです。説明できないどころか、レベルに到達していない人を見てイライラが募って「なんでこんなこともできないんだ!」なんてことも言いかねません。
ぼくは読書が大好きだ。
しかし、23歳までは読書が嫌いで、本も全く読まなかった。
だから、本が嫌いな人や苦手な人の気持ちがよくわかる。
その後、本を読み始めて読むことが習慣になった。
ぼくよりもたくさん本を読んでいる人も、ぼくよりも本を深く読んでいる人なんて世の中にたくさんいる。
それでも読書に関して、ぼくにしか伝えることができないことがあると信じている。
このブログでそれを伝えていきたい。
できる人の真似をするとき「言葉」よりも「行動」に注目する理由
”言葉だけ”で何かを伝えようとすると、それを受け取る人は各々で認知が違うため、ズレが生じてしまう。
ぼくは今までたくさんの「言葉」に救われ、また「言葉」にも苦しみました。
それは、人によって「言葉」の認知が違うから。
人と会話するときに、人それぞれの「前提」がちがう。
だから、会話をしたときに、言葉のひとつひとつの解釈が違うから、同じ話をしていても捉え方が人それぞれ違ってくる。
ほんの少しのズレが、会話を重ねるごとにどんどん大きくなってくる。
ぼくは本を読めば読むほど、自分なりの「言葉」ができ、純度が高い話をしたときに人とコミュニケーションがとれないことが度々生じるようになった。
それからは、人と話をする時は、一般的な言葉の認知を意識して、言葉を選択するように意識している。
- 現代においては「動画を撮っておく」のが絶対にいい。手書きのメモではなく。録画して、その動画の通りにやればいい。
しかも、動画を「撮影する」行為を実際に行うと、かなり行動に意識を向けるので、その人の行動の得意なポイントに目が行きやすくなります。
- 能力を劇的&確実に上げたいなら、できる人の「考え方」や「ノウハウ」でなく「行動」を完コピする。
人に「教える」時のポイント
ぼくは今まで「教え方」のいろいろ勉強してきたけど、「手書きのメモ」をとることを最重要視してきた。
しかし、手書きのメモだと、残るのは言葉だ。そのメモを書いた人の「言葉」の解釈が入ってしまい、伝わり方がかわってしまう。その視点がぼくには欠けていた。
また、「考え方」を伝えることが一番大事だと思っていたけど、まずは「行動」を完コピしてもらうことからスタートさせることが大事だとわかった。
特に人に直接教える分はまだ良いが、さらにその先の教えた人が、「人に教える」と、さらに薄まってしまい、意図したことと違うことが伝わってしまうことが多々ある。これも動画で解決できる。
学校の勉強には答えがあるけど、社会に出ると答えはない。
- 考える力をつけ、能力を伸ばして、才能を得ることで、「答えがない中で、自分なりの答えを模索していく」ことができるようになるのです。
- 受験に才能は必要ない。才能が必要になってくるのは、学校を出てから先。
そこで生きていくために 人は「勉強する」のだ。
「学校の問題には答えがあって、社会の問題には答えがない」って、学校では教えてくれないから、社会に出てはじめてその違いにぶつかる。
そこに気がついても、「自分なりの答えを模索していく」作業って、すごく難しい。
やったことがないから……。
「自分なりの答え」の模索する力をつける手段が、「学校の勉強」だ。
こどもに「学校の勉強は必要ない」って考える人もいるけど、必ず必要なものではないけど、ぼくはやった方がいいって強くすすめたい。
こどもに「自分で考える力」をつけるために、「学校の勉強」は学ばせたい。
『成長の正体』この本の一番の学びは「フィードバック」
多くの人はフィードバックのやり方を間違えています。
ぼくは、この上記の文章を読んでドキっとした。
フィードバックを大切にしていたのに、フィードバックのやり方をぼくは間違っていた!
- 人間は、フィードバックを受けると、より良くなろうとする生き物だ。
- フィードバックは客観的な”事実のみ”を言うだけでOK.
- プラスの意図もなく、マイナスの意図もなく、ただ事実のみを言うのです。
人はフィードバックを受けると、より良くなろうとするので、そこに返す側の価値観や判断を入れてしまうと、相手は反発してしまったり、自分で思考することを停止してしまう。
ぼくは今まで、フィードバックする際には、「よかったね」などぼくの価値観も添えてフィードバックをすることを正しいと思っていた。
また、人に指導するときも、そのフィードバックのやり方を重要としていた。
フィードバックをする際に「価値観」もそえてしまうと、相手への押し付けになり信頼関係がなければ反発して終わってしまう。上手にやったところで、いわゆる「洗脳」状態。
相手に考える余地を奪ってしまい、ぼくの「価値観」を相手に無意識に「正しい価値観」だと埋め込んでしまう。
その結果、その人本来の個性がなくなってしまう。
チームで活動するときには、価値観を揃えることは大事だが、価値観を刷り込むこととは違う。
客観的な事実のみをフィードバックするだけで、相手は自分で「自分」を知ることができ、よくなろうと自分で修正するのだ。依存せずに自立した人を育てる方法だ。
上司が部下の才能を伸ばすための、一番簡単な方法とは何でしょうか?
それは「中立的なフィードバック」を続けると、部下がもともと持っている「自分が正しいと信じている価値観」の通りの姿になっていきます。すなわち、部下自身が抱いている理想の姿です。
短期的な利益をみるなら、自分が答えを与えた方が利益を手にしやすい。
でも、長期的に考えたときに、相手に答えを出してもらうやり方が結果的には大きな利益となる。
しかし、それがわかっていたとしても、我慢できずつい手を出してしまうのが教えることの難しさ。
教えることとは、「見守る」ことが大切だ。
成長の一番の近道は、自分にフィードバックすること
成長の一番の近道は「フィードバックされた側が自分で気づくこと」です。自分で気づけば、自発的に問題を見つける力がついてきます。
メタ認知の能力が身につくと、能力が四方八方へ伸びていきます。そしてこの能力が尖っていくと「才能」になるのです。
今、自分の認知はどういう状況なのかを認知する。客観視する。それによって、自分で自分自身にフィードバックできるようになるのです。
人に教えるときのフィードバッックは客観的な事実のみを相手に返せばよかった。
それを自分で自分にすれば、自分で成長できる。
自分のことって、自分では気づけなかったり、わからないことが多い。
それを自分で自分のことが認知できる思考がもて習慣化できれば、常に自分で自分を修正でき成長スピードがグッとあがる。
例えば、日記をかくのも、メタ認知のひとつだ。
ToDoリストをつくるのも、スケジュール管理するのも、結局は自分自身を知るための仕組み作りだ。
自分のことをわかっていないのに、上を目指すことはできない。
今の自分の状況や位置が知ることが、まずは成長の第一歩だ。
【書評のまとめ】「才能の正体」坪田信貴(著)
この本は、学びが多すぎて濃い本だった。
ぼくは一番は「フィードバック」のところ。
これは本当に新しい気づきができた。
人に教える機会が多かったけど、課題はいつも「自立」。
相手の「承認の欲求」を満たすことを中心に教育すると、学ぶ目的が「指導者に認められる」ことになってしまい、指導者に依存してしまう。
ぼくはフィードバックをする際に、ぼくの価値観や評価もそえていたので、相手に「自分で考える」チャンスを奪ってしまい、思考停止人間にしてしまっていた。
「フィードバック」は中立的なフィードバックでいいというのは、これからやってみたい。
そして、そのフィードバックのやり方を意識して、自分自身に対してもやってみたい。