ことばを意識するようになって、
いろんなことに、こころが反応する。
『良い接客』をすることについて
良い接客をしている人。
良い接客をみたらいいなって思う。
表面的な感じで終わるなら、それでいい。
ただ、それ以上接していると、だんだんその人の良い接客をしている目的を感じてしまう時がある。
売上の為に良い接客をするのか?喜んでいただきたいから良い接客をするのか?
それは、
売上をあげるためにお客様によろこんでもらおうとしているのか、お客様によろこんでもらいたいから行動しているのか(その結果、売上があがる)の違い。
接客も良くて売上もあがって、結果は同じ。
結果は同じであっても、違う。
鶏が先か卵が先かって話ではない。
その差が、天と地の差がある。
売上のためにするのか。
人に喜んでいただくためにするのか。
それは、目的がちがう。
たとえ、ある一点を見たときにおなじ結果だったとしても、目的が違えば、たどり着くものは変わってくる。
まず目的が違えば、その人がつかうことばも変わってくる。
その節々にあらわれることばの違和感が、ぼくは苦しい。
目的って、本当に大事。
それを感じることが、ビジネスの世界にいると日々痛みとなって感じる。
「 CSはESから」
ビジネス用語で、「 CSはESから」ってことば。
意味は、「顧客満足をあげるのは、まずは従業員満足をあげることから」
これも、目的が顧客満足をあげることであり、その技法として従業員満足をあげるという方法をとるのは、ぼくは苦しい。
そもそもビジネスの世界で生きいる限り、資本主義の戦いの中にいる。
生き残るためには、売上をあげなければいけない。
人でいうと、空気を吸わないと人は死にます。
→お店は、売上(利益)がないとつぶれます。
でも、人は空気を吸うのが目的で生きているわけではない。
お店もいっしょ。売上は必要だけど、ぼくの目的ではない。
普通は、売上をあげるのが目的なのかもしれません。
ぼくの目的は違う。
だから、この資本主義の世の中の仕組みに、ぼくは押し出されてしまう。
今日も資本主義のお面をつけて、資本主義の勉強をしながら、この世界で生きて行く方法を学ぶ。
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