ぼくの働いているお店は、名古屋駅のすぐ側だ。
いわゆる名古屋駅の「裏」と呼ばれている。
名古屋駅のすぐ側なのに、もっさいのである。
誰が買うのっていうトラの絵の入ったTシャツや、腰のまがったお爺さんが店番をやっているお店があったり、古びた市場があったり。。。
昭和初期のむかしのあたたかい商店街のような雰囲気でもある。
同時に、ホームレスもいれば、
スーツをきた人や日雇い労働者の方が、無表情でただいるだけで、人の温度が感じられない場所だとおもうときもある。
そんな街の一角のもっさい神社がある。
誰がこんなところ来るんだろ〜
って失礼だけど思ってしまうような雰囲気をかもしだしている。
野良猫にとっては、絶好の居場所である。
そんなもっさい神社である。
でもね、
1年に1度、彼は輝く。
桜。
たった1本の桜の木。
この場所に季節をあたえてくれる。
深夜、酔っ払いですら振り返って写真を撮ってしまうくらい
うつくしい。
たった一本の桜の木が、どれほど多くの人のこころを動かしているのだろう。
この桜の木もきっと何十年もあって、桜は毎年変わらず、同じように咲いている。
昨日今日急にうつくしくなったわけではない。
変わったのは、桜ではなく、見る側のこころが変わっただけ。
太陽は、毎日輝いている。
月は、みんなが寝ている夜をやさしく照らしてくれている。
夏に活動する緑の植物たち。
…
それぞれが、それぞれの役割がある。
そして、それぞれの存在はどれもたいせつである。
学びは、特別なモノからではなく、日常の目の前にあるんだなって教えてくれた桜。
ぼくのこころに、やさしさを与えてくれたこの桜の木に感謝。
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