【感想②】「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」佐渡島庸平→コミュニティについて学べる本

WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.佐渡島庸平の本

本当に良い本に出会うと、書評が書けなくなってしまう。

 

「コミニュティ」について気づきと学びの連続で、読む度にワクワクしてしまう。

 

 

感じたものが多すぎて、引用が多くなり、人に伝えることよりも自分でじっくり本を深く知るために「書評」という名のもと、今も記事を書いている。

 

だから、佐渡島康平さんの新刊「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE」のこの書評記事も自己満で、いいことにした。

それくらい、ぼくにとって大きな本だ。

 

あまりにも記事が長くなってしまったので、書評を2回に分けて書いた後編編である。

前半の記事はこちら→「書評①コミュニティに自由・安心を求める」

 

本日の読書「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」佐渡島庸平(著)

「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ 佐渡島庸平(著) 

著者:(編集者/コルク代表)佐渡島庸平さん

コルクの佐渡島康平さん写真

1979年生まれ、東京大学文学部卒業後、2002年講談社に入社。現在は、作家エージェント会社「コルク」を経営。オンラインサロン「コルクラボ」運営。

「バガボンド」「ドラゴン桜」「働きマン」「宇宙兄弟」などの編集にたずさわってきた。

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熱狂は、身近な人を焼き殺してしまう

このような本や講演で、僕は熱狂的に自分の夢を語る。協力者を募る。僕の熱狂に伝染してくれた人は、それで手伝いに来てくれる。

しかし、僕のそばにいればいるほど、その熱狂は長続きしない。自分が、僕ほどの熱狂を持って関われていないことに、無力感を覚えてしまうのだ。かといって、僕が自分の熱狂を推し殺すのは、本末転倒だ。

 

熱狂とは、太陽みたいなもの。遠くまでその熱を伝えることができる熱狂は、身近な人を焼き殺してしまう。それも仕方がないことだと割り切っていた。

ぼくは、若い頃「元気系居酒屋」と呼ばれる「幸せ!」「感謝しています!」「プラス思考!」「本気!」って、朝礼で叫び合うお店で働いていた。

側からみたら、「宗教みたい」って言われるくらいのレベルだ。

 

実際にはたらいた感想としては、やってすごく良い経験ができた。

 

 

しかし、いつもそのような集団は、長く続くことはなかった。

 

すごく不思議だった。

 

あれだけ一致団結していて熱い集団なのに、なぜ長く続くことなくダメになってしまうのか全くわからなかった。

 

 

その謎が、この本を読んで納得した。

熱狂は一時的には良くても、長続きしない。

 

確かにその光眩しさは、人を集めた。

同時にすぐそばにいる人たちは時間とともに去っていた。

熱狂を生み出すよりも安全・安心の確保が重要

絶対的に必要だと思っていた思っていた熱狂に対する考えが、僕の中でゆっくりと変わり始めた。

熱狂は、インターネット以前の、不自由な、カクカクした世界の中で、コミュニケーションをとるのに必用な要素ではないか?インターネットによって生み出されるなめらかな世界では、熱狂は最優先事項ではないのではないか?

「熱狂」は 、ぼくも最優先事項だと思っていただけに、ショックだった。

ぼくは、過去の価値観に取り残されていた。

 

人によって「安全・安心」は違う

安心・安全をキーワードに世の中を再度観察すると、全く違う世界が見えてきた。

誰にとっても安全・安心は同じものだと捉えていたが、人によって何を安全・安心と考えるかは随分違うというのが一番初めの気づきだ。

 前記事でも書いたが、つい自分基準で「安全・安心」を考えてしまうが、人によって違う。コミュニティをつくるうえで実に大切なこと。

佐渡島本と箕輪さんの本の挿絵

コミュニティに人が入る度に新旧両方のメンバーが不安になる

コミュニティには、常に新しく人が入ってくる。

新しく入った人は、自分たちを何も知らない、安全・安心が確保されていない人だと考えている。そして、自分たちのために、もともといる人たちが安全・安心を確保してくれないといけないと考えがちだ。

元のメンバーは、そのコミュニティを自分たちの居場所だと思っているから、リラックスはしている。しかし、そのコミュニティの持つ文化が新しく入った人によって書き換えられてしまうかもしれない、中心の場所が変わってしまうかもしれないという漠然とした不安を持っている。

もともといる人たちの気持ちも、新しく入る人の気持ちもよくわかる。

どちらも変化に対する不安がある。

 

 

新しい人を入れていかないと組織として活性化していかない。

 

しかし、そのもともといる人たちも、新しく入る人たちもお互いに不安を抱えたままだとうまくいかない。

 

新しく入る人の「不安」は意識しやすいが、もともといる人たちの「不安」は影にかくれやすいので厄介だ。

 

コミュニティをつくるうえで大きなヒントになる。

 

 

コミュニティに入った時の初めの一歩を明確にする

コミュニティに入ったときに何をやるのかわからないと、人は動くことができないのだ。多くの人にとって、「なんでもできる」は、「なんにもない」と同じだ

よくできたネットサービスは、サイトに行くと、一番初めに何をすればいいのかがすぐにわかって、自然と手を動かすことができる。それで、初めの一歩をクリアすると、安全・安心が確保されやすくなる。

  コミュニティをつくる側からすると、参加者によかれと思って、「なんでもできる」ように自由にしてしまうと、逆に不安を与えてしまい、動けなくなってしまう。

 

はじめの一歩をつくっておくことが、コミュニティに参加する人にとって、コミュニティのなじめるかどうか、たいせつなことだ。

 

【コミニュティ作り】自己紹介が信頼関係を生む

不安とは、イメージがわかないことと先ほど伝えた。つまり、知ることは、安心を生む。お互いがどんな人間なのかを知ることは、相手に安心を生むことである。

安心を生み信頼関係へと移行するためには、何度もなんども、さまざまな形で自己紹介をし合う。

コミュニティにおいて、「自己紹介」って自分を相手に知ってもらう為のものだと思っていた。

自分のためにするものだと思っていたけど、同時に「相手に安心を生むこともできる」という意識レベルの言葉は、ぼくにはなかった。

 

この文を読んでぼくは、ハッとなった。

 

確かにそうだ!

 

 

自己紹介は、相手のためでもあるのだ。

これを読んでからぼくは新人教育の際に、教育者が自己紹介をする意味を言葉にして伝えることができるようになった。

 

言語化できると伝わり方が変わる。

 

自分について語ることは、自分の居場所を自分で知る行為だ、ほとんどの人が、その行為をおろそかにして、他人の目的地を自分の目的地にしてしまう。そんなやり方だと、モチベーションを高めることができない。

自分について理解している人を増やす。自分がなぜ、ここにいて、どこに向かおうとしているのか、それを正しく理解している人が多ければ多いほど、そのコミュニティでは、「静かな熱狂」が起こしやすくなる。

自己紹介をすればするほど、自分を知ることができる。

自分を知れば知るほど、他人との違いも理解でき、他人も知ることができる。

 

「安心」とは予想できること 

安全は、客観的に身の回りに危険がなく、危険があったときの準備ができている状態。 

 安心の定義は、イメージがわくこと。

文科省のサイトでは、安心を「人が知識・経験を通じて予測している状況と大きく異なる状況にならないと信じていること」と定義している。

予想ができているから、安心が確保されている。

 

それぞれの人が、どんな行動をするのか、予想できるようにすること。それがコミュニティを安全・安心な場にするためにすごく重要だ。

言葉の定義は、すごく大切。

「熱狂」で大事なことは、内容よりも順番

熱狂は絶対に必用。重要なのは、熱狂の順番

熱狂→拡大→熱狂を繰り返すと、どこかで破錠する。そうではなくて、安全・安心の確保→熱狂→拡大→安全・安心の確保を繰り返すのが重要。

大事なのは、内容よりも順番だと気づいたとき、コミュニティマネージャーの仕事は、かぎりなく編集の仕事に似ていて、編集者ができることだと思った。

 熱狂→拡大→熱狂を繰り返す集団にいたことがあるので、これも実感している。

 

内容より順番が大事ということが、ぼくには無かったので大きな学びだ。

 

コミュニティのアップデート「We are lonely,but not alone.」 

We are lonely,but not alone.

この言葉、実は少し不思議だ。
「我々は孤独だが、一人ではない」

 

We are alone,but not lonely.
「我々は一人だが、孤独ではない」のほうが、よくある概念だと思う。

 

孤独であること人間の性として受け入れ、その上で一人とは違うコミュニティを作るほうが人を救うのかもしれない。

 

この言葉に、本当にシビれた!

 

人は誰しも弱いいきものだと、ぼくは思っている。

 

 

インターネットによって孤独感が深まるから、コミュニティが必用なのではない。既存のコミュニティが、現代に対応できなくなってきているから、コミュニティをアップデートしなくてはいけないのだ。

以前は、「家族」「学校」「会社」「ご近所さん」など、今まであらゆるコミュニティに人は所属してきた。

 

しかし、インターネットによって、生活、働き方、人との付き合い方、生き方までありとあらゆるものがどんどん変化していっている。

その中で、コミュニティ自体もどんどん変化していっている。

 

ぼくたちは、コミュニティが変化していることすら気づかずに、取り残されていいないだろうか。

 

ぼくたちの「コミュニティ」の認識を、今の時代のモノにアップデートしていき、人とのつながりをたいせつにしていきたい。

 

【書評まとめ】「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」

この本「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」も、どんどんアップデートされている。

著者の佐渡島庸平さんのnoteに、内容がアップデートされている。

 

本を深く知るために、佐渡島さんのnoteも読んでみたが、ますます自分の中で消化しきれないくらいのものになってしまった。

 

とりあえず消化不慮のままでも、自分の区切りとして前半の記事とともに書評を書いた。

編集者:箕輪厚介さんの説明「佐渡島本の影響力」

この本の編集者は箕輪厚介さんだ。第4章は箕輪さんとの対談になっている。

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「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」のAmazonの評価を見ると、賛否両論分かれている。

なんでこんな素晴らしい本なのに、評価が低いのか?

と、疑問だったが箕輪さんの下記の説明を聞いて納得。

オンラインサロンなど、世間ではまだ少数である。

その少数にむけて書かれたのが、この本だ。

だから、この本はバカ売れしない。

 

「コミュニティ」に関心が薄い人にとっては、この本は意味わかんない。

読む人が現在「コミュニティ」とどのようにつながっているかによって、本を読んで刺さる箇所が違う。

 

コミュニティを作っている人なのか?

コミュニティに積極的に参加している人なのか?

ただ見学しているだけの人なのか?

 

それぞれの立場や所属しているコミュニティによって、この本の受け取り方が変わるようだ。

 

ぼくは今、コミュニティを作っているし、いろいろ所属もしている。

あらたにコミュニティも立ち上げようとも思っている。

 

まさにこの本はドンピシャな内容だった。

だから、めちゃくちゃ刺さりまくった!

 

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「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」佐渡島庸平(著)
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