ぼくはラーメン屋で働いている。
アルバイトで働いてくれている学生や、アルバイトの面接に来てくれる若い人が、「就職について」や「将来」について話をすることが多い。
ぼくは、その度に全力で話をする。
少しでも、人生の選択肢が広がることを願って。
この記事の目次
思考停止人間の仕事の選択
思考停止人間が将来の仕事を選ぶ時、
その人が持っている学歴という切符をつかって、入れる一番良い会社に入るように考える。
思考停止人間が考える良い会社の条件
思考停止人間が考える良い会社とは、大きな会社。
親や友だちや世間が「良い」って評価する会社が、良い会社。
大きな会社は、安定しているから、良い会社って考えるようだ。
大きな会社にぶら下がって、他人に自分の人生のハンドルを握られる人生を歩むことになる。
人は変化ではなく、安定を求める。
仕事を選ぶときのよくあるいいわけ3つ
①お金:給料の良いところがいい
お金はたいせつだ。
必要最低限なお金がないと、こころも苦しくなってくる。
ここでいつも話をするのが、
お金って目的ではなく、手段だ。
いくらお金があっても、しあわせでなければ、誰もそれは望まない。
お金が手段ならば,
目的は何かというと、しあわせだ。
しあわせになる為に、お金という手段を使うのだ。
目的と手段を間違うからおかしなことになる。
お金を目的としてしまうため、気がついたらお金を手にしたとしても,しあわせにはなれない。時間がかかったとしても、目的をきっちり見て、一歩ずつでも前に進めばゴールに近づける。
②安定:安定したところがいい。
大きな会社に入って「安定」って考えるのは、もう過去の話。
昔は、会社にいったん入れば、年齢とともに給与があがり、定年までそこの会社にいることが素晴らしいと考え、まだそれが当たり前の時代だった。
今は時代が変わった。上場企業でさえ、簡単に潰れてしまう時代。
ぼくが、働いていた全国チェーンの飲食店で、あるアルバイトが2CHでつぶやいたことで、大きな問題になり、マニュアルまでもが変わってしまった。
個人の影響力が強くなったのだ。
今は大企業が世の中を動かすだけの時代ではない。個人でも世の中に与える影響が日に日に大きくなってきている。
大きな企業にぶら下がって生きている場合、その企業が倒れたとき、その人もいっしょに倒れてしまい、それで終わってしまう。その人の人生のハンドルは、その企業に委ねられている。それが本当に安定って言えるのだろうか…
ぼくが思う安定とは、
どんな会社で働いていても、何をしていても、「しあわせ」って感じるこころが持てることだ。
どんなことでも、そこに「たのしみ」や「やりがい」を自分で見つけることができれば、何をやってもしあわせを感じることができる。
それが、ぼくは本当の「安定」だと思う。
そのためには、「しあわせ」を感じることができるこころを磨かなければいけない。
「良い」会社なんてない。
「安定した」会社なんてない。
あるのは、自分の「こころ」だけ。
③親がうるさい
「親が良いっていう会社でないとダメ」
「親が安心する会社がいい」
「親が・・・」
こういう人が実に多い。
あなたの人生は、親の人生ではない。
あなたの人生は、あなたの人生だ。
親のいいなりに仕事を選ぶのは、親の都合であり、親の思いであり、そこに「あなた」はいない。
親はもちろん誰よりもあなたのことを愛していて、心配だから、苦労しないような選択ができるように、口すっぱくいろいろ言ってくれる。
でも、あなたの人生だ。
親が望んでいるのは、子どもが良い会社に入ることではない。
それは表面的なモノであって、
親が本当に望んでいることは、子どもがしあわせになってくれることだ。
自分が「これだっ!」て思う本当にやりたいことをやって、本当にしあわせになることが、何よりもの親孝行だ。
どんな道を選ぼうとも、そこで一生懸命やって、しあわせになってみせることだ。
一時的に親を泣かせる選択になるかもしれない。
時間がかかるかもしれない。
でも、自分が選んだ道なら、自分で責任をもって前に進める。
その先に、「本当」のしあわせがある。
仕事を選ぶ前にすること
まずは、自分を知ることが大切。
「やりたいことがない」っていう人は、自分を知らない人だ。
自分が何が好きで、何が嫌いかがわからない。
自分が何をしているとき、こころがワクワクしているのか。
自分をずっとないがしろにしていて、自分を大切にしてこなかった。
社会の常識というモノに縛られて生きて、他人の目線や評価を気にして生きてきた人にとって、「自分を大切にする」ってことはずっとおろそかにしていた。
「自分を大切にする」って、自分勝手で悪いことってすら考える世の中になっているようにさえ思う。
今まで、「他人を大切にしなさい」とか「他人の気持ちを考えなさい」ってことは言われることはあっても、「自分を大切にする」って教えられたことがない。
だから、「自分を大切にする」って、考えたことがない人がほとんどだ。
こどもの頃から、無意識に自分のこころの声にフタをし続けた人にとって、自分の声を聞くことは難しい。
そのフタをとるところからスタートだ。
自分を知る
自分を知る為には、他人から教えてもらうことができない。
自分のことは、自分でしかわからない。
自分の手を胸にあてて、自分のこころの声に耳を傾けるしかない。
自分のこころの声にフタをしている人の多くは、こどもの頃のトラウマだったり、感情がフタをしていることが多い。
そのフタの存在を認めてあげて、その小さい自分を許してあげて、フタをあけることだ。
そのフタをあけたときに、はじめて本当の自分と出逢える。
本当の自分の声を素直に受け止めて、行動していくことが、ぼくはしあわせになる大きな一歩だと信じている。
人生の岐路にて
今回、この記事を書こうと思ったキッカケが、先日ぼくの仲間が仕事の相談にきたことだ。
散々「お金が・・・」「親が・・・」「資格が・・・」と、自分の人生の選択をいいわけばかり並べて、他責にして、自分のこころの声にフタをして逃げていた。
ぼくは、伝えられることを伝えた。
彼女は、自分にしていたフタに気がついて、自分のやりたいことをやりますって宣言してくれた。
そして、もう一度家族に相談して、明日連絡するとぼくに言った。
彼女自身、いかに自分が社会の常識や、他人の目ばかり気にしていたかということに気がついてくれた。
そして、翌日。
ぼくはあまかった。。。
彼女は、家に帰り、家族やまわりの友だちと話をして、話をするに連れてドンドン、「自分の声」から遠い場所にいってしまった。
社会の常識と不安に負けてしまったのだ。
翌日、ぼくに違う選択をしたって連絡がきた。
ぼくは、彼女に自由に生きてほしかった。
ぼくは、彼女に自分らしく生きてほしかった。
でも、それってすごく勇気がいること。
ぼくが思う「彼女のしあわせ」であって、彼女が思う「しあわせ」と違うかもしれない。
そうであっても、ぼくは「ぼくが思う」しあわせの押し付けをこれからもしていきたい。