最初から「え〜、そうだったんだー」ってことばかり!!
経済産業省の官僚が社会保障について、ぶっちゃけた本だ!!
本の表紙や題名から難しそうに感じますが、読みやすくわかりやすく書かれている。ぼくたちの生活に関わる社会保険や高齢化社会について書かれているので、自分ごととして読めるので、グイグイ本に引き込まれる。
この本を書くことによって、著者は仕事がやりにくくなるかもしれない。
それでも「覚悟」して書かれたこの本は、著者の魂が込められた本だ。
ぼくの今後の人生の選択においても大きく影響を受けためちゃくちゃオススメ本!!
この記事の目次
本日の読書「社会は変えられる」世界が憧れる日本へ
著者:江崎 禎英さんとは
肩書きが難しいので要約すると、
国のお仕事をしている官僚さん
1964年岐阜県生まれ。東京大学卒業、通商産業省(現・経済産業省)入省。
通商、金融、IT政策のほか、大蔵省で金融制度改革、内閣官房で個人情報保護法の立案に携わり、EU(欧州委員会)に勤務。帰国後、ものづくり政策、外国人労働者問題、エネルギー政策を担当し、岐阜県への出向。
2017年より経産省商務・サービスグループ政策統括調整官 兼 内閣官房健康・医療戦略室次長。
問題を「仕方がない」と言ってあきらめている
先が見えない難しい状況に陥った時、私たちは往々にしてこれまで通りのやり方を押し通そうとするか、「仕方がない」と言って何もしないことを正当化してしまうものです。
ところが、一歩引いてより広い視座から全体像を俯瞰できるかどうかで、その後の展開は大きく変わります。対応策が見つからなかった課題でも、違った視点から眺めてみると、思いがけないヒントが見つかるものです。
「なんで〜やっているの?」って聞くと、「前から〜やっているからです。」と返事がある。
これまでのやり方について、当たり前になっていて、疑問すら持たないことってよくある話だ。
と、思いながらこの本を読みはじめた。
しかし、すぐにぼくも疑問すら持たずに「仕方がない」って思いこんでしまっていることが、たくさんあったことに気付かされた。
他人のダメなところはよくわかるけど、じぶんのことはホントによく見えていない。
公的医療保険が危機的な状況
「年金」より遥かに深刻な問題を抱えているのが、日本の医療を支える「国民皆保険制度」です。誰もが当たり前のように利用している公的医療保険が危機的な状況にあるのです。
改革が難しい理由の一つは、現行の国民皆保険制度があまりにも「関係者に優しい」ことです。手厚い給付制度のお陰で「医者」も「患者」も「家族」も厳しい選択を迫られずに済んでいることです。その結果、誰もが「何かがおかしい」と感じつつも、本格的にこの問題に取り組もうとしません。
公的医療保険がヤバいことは知っていたけど、年金より遥かに深刻な問題なんて知らなかった。
しかも、「関係者に優しい」からこの問題に本格的に取り組んでいないなんて、非常におそろしい話だ。
ぼく自身も過去に医療費で30万以上かかったときも、健康保険の「高額医療費控除」によって10万円もかからずに済むことができ、安心して治療ができた。
手厚い給付はありがたいけど、継続的に続けることができないなら問題だ。
問題の本質を問い直す
「公的医療保険が問題になっている」ことは知っていたとしても、そもそもなぜ問題になっているのかという問題の本質について、正確にぼくは理解していなかった。
高齢者は増加しない
世界最高水準にある日本の高齢化率が今後さらに高まるのは事実ですが、決して
高齢者が急増するからではありません。
日本の年齢別人口構成を逆さに積んでみれば一目瞭然です(下記図)。
人口構造を表すグラフは通常若年層から順に積み上げます。しかし同じグラフを高齢者から順に積み上げると、65歳以上の高齢者の数は今後それほど増えないことがわかります。高齢化率が今後さらに高まる原因は若い世代の減少なのです。
「高齢者がこれからどんどん増えてくる」って、子どもの頃からテレビや学校で習ったりして、そういうものだと思考停止していた。
若い人が減っているは知っていたけど、高齢者も急激に増えていると思っていたので、問題の本質をぼくは履き違えていた。
若い人を急に増やすことは難しい。やるべきことは、今いる高齢者に対してどうするかだ。
「高齢化対策」を求める背景
現行の社会保障制度は、1960年代から80年代にかけて整備されています。この頃の人口構造を見ると、65歳以上の高齢者は1割未満で、14歳から64歳までの働く世代の人口が圧倒的多数を占めていました。
つまり人口構造からも経済状況からも世界で最も手厚い社会福祉サービスを提供することが可能だったのです。当時の人口構造や経済状態が「正しい」との前提を置けば、超高齢社会は確かに「歪な社会」なのかもしれません。
社会保障の分野においても人口構造や社会構造が大きく変化しているにもかかわらず、豊かな時代に作った社会保障制度を維持するために、身の丈以上にお金を注ぎ込んできたのです。こうした対応こそが結果的に現在の国家財政を圧迫する大きな原因になっているのです。
ぼくはファイナンシャルプランナーの資格も持っていて、社会保障制度についても勉強していたけれど、学んだことは「ルール」だ。
「社会保障のルールの範囲の中で、何ができるか」ばかりを考えていた。
このルール自体に疑問を感じることがあったとしても「仕方ないものだ」と思考停止していた。
そもそもがこの社会保障制度ができたのが1960年〜1980年であれば、今とは背景が違いすぎる。時代に社会保障制度が変わっていないことが、歪みをうみだしている。
一人当たりの医療費は高齢者になると急増します。しかも、人生の最期に近づくほど大きな医療費を使っているのです。
国民皆保険制度が実現する恵まれた医療環境によってあらゆる治療が可能になった結果、「手を尽くしました」というアリバイ作りのような医療のために、膨大な費用と医療関係者のエネルギーが注ぎ込まれているのです。
「患者が望んでいる治療かどうか」という考えよりも、あらゆる治療をおこなって少しでも長く生きられるように手を尽くさなければいけないという義務感のようなものが、医療費を必要以上に膨らませてしまっている。
役割を持つことで人は健康で長生きする
高齢者は社会からリタイアしなければならないと誰が決めたのでしょうか。
高齢者が元気でいながら何の役割も与えられない環境こそが問題であり、このことが我々の直面する多くの課題を生み出しているのではないでしょうか。
「定年退職」ということばがあるように、高齢者は社会からリタイアしていくものって、それを「あたりまえ」に思っていた。今でこそ、定年退職しても働かないとやっていけないことが多く、退職後もアルバイトとかされている方が多いが、それでも「定年退職」というシステムが残っている。
社会から「引退する」というのが、「ふつう」というのが多くの人の常識。
生涯にわたって役割と生きがいを持ち続けられる「生涯現役社会」に再構築すること
それが達成された時、社会は今とは大きく違った姿になるでしょう。
「80歳になっても100歳になっても、今が一番楽しい」と言える社会をめざすべきなのです。
人は最後まで右肩上がりの人生を生きることができます。人生にピークは作ってはいけません。
実際、私たちの脳は、歳をとるほど幸せを感じやすくなるように出来ていると言われており、条件さえ整えば、人は幸せを感じ続けながら人生を全うすることができるのです。
「『80歳になっても100歳になっても、今が一番楽しい』と言える社会を目指す」って、めちゃステキなことば。
このことばは、ぼくも大切にしたい。
右肩上がりの人生は、いくつになってもワクワクするし、年をとればとるほど楽しくなっちゃう。
そんな社会をつくりたい。
認知症予防のためにまず取り組むべきは、社会的存在としての高齢者の居場所を確保し、社会の役に立っているという実感を持ち続けてもらうことです。ボランティアなどの社会貢献を通じて「ありがとう」と言われることも大切です。ワクワクとドキドキが免疫力をアップさせると言います。
変えるべきは、「人口構造」ではなく、「高齢者はリタイアするもの」と思っている社会の「常識」です。
ぼくも、高齢者の方のビジネスやコミュニティ作りをしようと思っている。
目的は、じぶんや大切な人たちが安心して、しあわせに年をとっていけるようにする為だ。
結果的に、認知症予防にもなり社会貢献にもなるのであれば、さらに良いことだ。
時代に合わなくなった社会保険制度
日本の国民皆保険制度は、結核に代表される感染症やケガから労働者を守り、経済成長を維持するための労働力の確保を目的に整備されました。
当時の日本人の死因トップであった結核を劇的に減少させました。
当時は感染症が死因のトップだったので、それに基づいて国民皆保険制度は作られていた。
しかし、所期の目的は達成されたのですが、手厚い医療保険制度はそのまま維持されました。
この結果、本来予防が可能な生活習慣病の治療に対しても当然のように公的保険から医療費が給付されているのです。
社会保障制度改革において議論すべきは、不足する財源をどのように確保するかではなく、主たる疾患が感染症から生活習慣病に変わったにもかかわらず、従来の医療保険の仕組みに頼ったままになっている点です。
感染症は、治療して治れば完治するが、生活習慣病は原因である「生活習慣」を変えなければ、いくら発生した疾病を治したとしても、また次の疾病が発生してしまう。
「治療」にだけ力を注ぐのではなく、「予防」にもっと注目していく必要がある。
「健康」を目的にしないこと
肝心なのは、健康に関心がない、もしくは関心はあっても忙しくて対応できない人々の行動をどのように変えるか。そのポイントは、「健康」を目的にしないことです。
人は健康を失うまでその価値に気がつかないものです。
特に若い世代に対して健康を「目的」に据えても実感が湧きません。
しかも「健康」イコール「我慢」というイメージがつきまといますから、かえって敬遠したくなります。現実の生活の中ではもっと優先すべき問題が沢山ありますので、どうしても健康は後回しになります。したがって、彼らの生活における優先順位を変えるための「環境」の整備が必要です。
ぼくは、これからやりたいことの大きなヒントをもらった。
これからは「健康」をテーマにしたことをしたいと思っているけど、問題は若い人は「健康」に興味があまりないということだった。
じぶんもそうだったけど、「健康は大事だ」って頭ではわかっているけど、若い時は優先順位は低い。
しかも、ぼくも「健康」=「我慢」ってそう思っていた。言語化できていなかったけど。
楽しい・おいしいを追求したら、結果的に健康になってします。そんなサービスが溢れていたら歳をとるのも悪くありません。
「健康」をキーワードとした時の若い世代の集客のヒント。
「『楽しい・おいしい』を追求した結果が、「健康」になってしまう」
これは、ホントにすばらしい。
「楽しい・おいしい」を追い求めた結果、不健康になってしまうジャンクフード、タバコも近いものがある。特にわかいときは「今」に意識がむき、先のことを考えず「今が良ければいい」ってなってしまいがち。
でも、それを「不健康」ではなく、結果的に「健康」にもっていくことができれば、提供する側・される側・その周辺の人を含め、みんなハッピーになる。
ぼくは、それを目指したい。
書評のまとめ「社会は変えられる」世界が憧れる日本へ
問題の「本質」をとらえることって難しい。
目の前に起きていることにとらわれ、その奥にある本質が見えないことが多い。
目の前に起きている問題をいくら解決しても、問題の本質を解決しないと同じような問題が次々にあらわれてくる。
日本の社会保険制度や高齢化社会の問題の本質を考えたとき、結局はたどり着くところは「しあわせ」だと思った。
人生の最期の瞬間まで、右肩上がりに「しあわせ」が増えていく。
そんな人生が送ることができる社会をつくることが、問題解決につながっていく。
国のお仕事はどうしても利権や古い体質で、「今まで慣行的にやってきたこと」を変えることは大変。むしろ、変わることすら期待はしていなかった。
でも、この本を読んで、想いをもって行動すれば、国の仕事ですら「変える」ことができるんだと希望をもつことができた。
読みやすさ ★★★★☆
内容 ★★★★★
オススメ度 ★★★★★★
「社会保険」や「政治」に関することが書いてあるけど、わかりやすく書かれている。
しかし、こういう話が全く苦手な人にとっては読みやすさは★4かもしれないので★5にしたいけど、1個減らしておいた。
これからの社会のあり方に対する考え方は、非常に勉強になった。ビジネスの参考にもなるし、これから生きていくうえでのヒントにもなった。
どんな壁にもひれ伏すことなく志をもって突き進む姿に勇気をもらった。
この本も今年のベストヒット本に登録!!!