【おすすめ度No.1】最近読んだ本で、一番良かった!!!
めちゃよかった〜
感動して泣けるし、めちゃ考えることができた本。
子どもの頃のじぶん、今じぶんの中にいる奥深く眠っているじぶんに出会うことができた本。
この本で一番書きたかった部分は、ネタバレになってしまうので書けないので是非本を読んでもらいたい。
反抗期の中学生の男の子が成長していく物語。
めちゃ読みやすく、一気に読んでしまう。
この記事の目次
本日の読書「ソバニイルヨ」
著者:喜多川 泰さん
喜多川泰:1970年生。1998年に学習塾「聡明舎」を創立。「勉強」を通して、人生との向き合い方を若者たちに伝えている。全国で講演活動も行なっている。
著書:「賢者の書」「君と会えたから…」「手紙屋」など国内累計75万部を超えるベストセラー作家
無意識に相手に期待してしまっている
- 自分では気がつかないうちに、人間は会う人会う人に、いろんなことを期待している。怒りっぽい人や、イライラしている人ほど、誰かに頼って生きている。
- 知っている人から見知らぬ人に至るまで、あらゆる人に、『こうしてくれ』と期待する度合いが高い大人もいる。ベースになっているのは『自分ならこうする』という思い。それが無意識のうちに、『その通りに動け』という相手への期待になる。
これは本当によくある。
しかも、無意識に相手に期待してしまっている。
だから、期待を裏切られた時に、イラってしまい、こころが乱れてしまう。
自分がいかに普段の生活の中で、相手に対して無意識に『その通りに動け』って思ってしまっているかと、振り返ると苦しくなってしまう。
潜在的にあった自分の感情を、この本に書いてある文章を読んで、言葉として意識上にとらえることは、いかに自分のことがわかっていないということを痛感させられる。
まだまだ未熟な人間である。
他人に決めてもらう受け身の人生
夢を持つと、やらなきゃいけないこと生まれる。大きな夢なら、たくさんのやらなきゃいけないこと。小さい夢なら、ちょっとだけ。
子供は、やらなきゃいけないことは、誰かが決めて、自分のもとにやってくるって思ってる。
でも、ちょうど今の隼人くらいの年齢から、やらなきゃいけないことは自分が作り出してるってことに気づき始める。隼人もできるだけ早めに気づいた方がいい
他人に決めてもらう人生を歩んでいる人が実に多い。
学生の頃って、やらなきゃいけないことって常に与えてもらっていた。
宿題やテストもそうだし、運動会・文化祭をはじめ、他人が用意したものをやるという作業だ。
何もしなくても与えてもらえる。
子どもの頃の教育が、受け身の学びだった。
自分からつかみとろうとか、自分からやろうっていうことを教えてもらわなかった。
机にさえすわっていれば、どんどん「やらなきゃいけないこと」は与えてもらえた。
おそろしいのが、その延長戦上にいる社会人だ。
上司や会社から与えられた業務をこなすことを、仕事だと思っている。
仕事は、与えられた「やらなきゃいけないこと」をこなすことだと思っている。
人生は、与えられたものをこなすことだと思っている。
そんな思考停止人間に出会ってしまうと、ぼくは苦しくなる。
子どもの頃に植え付けられた価値観を動かすことは、本当に難しい。
目的を意識する
必要最低限を超えない勉強を、何時間続けても隼人の人生の財産にはならない。それ、誰かにモンクを言われないことだけが目的になってるけど、そのために人生の大半の時間を使うのはもったいない。
勉強だけではなく、仕事もまったく同じ。もっというなら人生も。
同じ場所で、同じ仕事をしていても、人によって成長が全然違う。
それって何が違うのか。
まさにこの本に書かれていること。
仕事をする目的が違うからだ。
何をするにしても、目的って本当に大事だ。
自分もまた、ついボーっと無駄に時間を過ごしてしまったり、仕事が作業に変わってしまっていたり、手や体だけ動かして「仕事」をしているつもりになっていることがある。
目的を常に意識するようにこころがけたい。
何のために勉強するのか
▼引用長いけど、ここがめっちゃいいところなんで!
- 世の中のほとんどの人が小中高と十二年間も朝から夕方まで学校に通って『勉強』するんだよ。勉強している時間がすべて投資になるんだったら、ほとんどの人が、将来手にするものが素晴らしいものになってもおかしくないね。でも、みんな同じ時間だけ『勉強』したにもかかわらず、将来手にするものがまったく違う。つまり勉強していたその時間が、浪費になっていた人もいれば、投資になっていた人もいるということ。だから、同じ勉強をするなら、『投資』になるようなやり方をした方がいい。
- 勉強だけじゃない。何をやろうとするときも必要最低限を超えようとした時間だけが投資になる。つまり将来の財産になるってこと。
- 勉強をしてもしなくても、人間の人生には、いろんなことが起こるよ。
ときには逃げ場がなく追い詰められるようなこともあるだろうし、逆境に陥ることもあるだろうし、何で自分ばっかりと思ってしまうような不幸な出来事が続くことだってある。それは、すべての人の人生に平等にある。だけどそのときに、たじろいで勇気をなくてしまったり、心がヘナヘナになって力が入らなくなったり、絶望して明るい未来を夢見ることができなくなってしまったりしたら、それこそ生きていく気力すらなくしてしまう。そういうときこそ、心を強く持たないと幸せになんてなれない。
そんなときに心が負けない、そんな人になるために、どんなときも心を強く、明るく、美しく保つために勉強はある。
何のために勉強するのか?
ぼくはよくそのことについて考えたり、人に伝えたりするけど、自分の中にはなんとなくコレっていったモノがあるけど、イマイチぼやってした表現でしか言語化できていなかった。
この文章を読んで、ぼくはスッキリした。
自分にあてはめて考えても本当にそうだ。
自分に力がなくて、たいせつなモノが守れなくてくやしい思いをたくさんしてきた。
その結果が、ぼくは「読書」にたどり着いた。
一時期は、読書をしないと不安だった。
それは、
読書をしないという不安だったのではなく、
勉強をしていない自分に不安だったのだ。
焦りだった。
しかも、その焦っている自分に気がつくことができなかった。
だから、不安だった。
今は、そのときよりもほんの少しじぶんを見ることができるようになった。
「何のために勉強するのか?」
強い自分でありたい。
じぶんに正直に生きる
これをやったら、人からどう言われるか、こんなことを言ったら、人がどう思うか……。
そんなことを気にしてばかりで、自分の人生でやりたいこともやらずに、言いたいことも言わずに人生を終えていく人がたくさんいる。それって、すごくもったいない。たった、一度だけの人生。隼人は、他の誰かの価値観に合わせることに費やすんじゃなくて、自分の価値観にもっと正直に生きるべき
昔と違い、今の時代なのか、たっぷり愛を受けることなく育った人が多い。
愛されずに育った人たちは、常に他人に求める人になってしまう。
十分に愛を受け取って育った人は、こころの矢印を他人ではなく、じぶんに向けることができる。
こころの矢印をじぶんに向けることによって、よりじぶんを知ることができ、じぶんに自信がもてるようになる。
じぶんに自信がもてるようになると、じぶんの考え・感情をたいせつにすることができ、じぶんを信じることができるようになる。
その逆の人たち、
じぶんに自信がないから、じぶんのことを信用できないから、じぶんの考え・感情を信用せず、常に他人の考え・感情に重きをおき、他人に振り回される人生になってしまう。
こどもの頃から、他人を大事にすることが善で、じぶんのことを大事にすることをわがままって教えられて育ってきた人は、じぶんを大切にすることを知らない。
まずは、じぶんを大切にしようと思おうとするところからスタートだ。
じぶんを大切にすることは、学校では教えてもらえないので、ぼくにとっても難しいことだ。じぶんを大切にするってことは、ぼくは今まさに取り組み実践しようとしている。
その答えは、これからこのブログで随時報告ができると思う。
じぶんに正直に生きる。
よく言われることばだが、本当のじぶんを知るには、じぶんでじぶんに何重にも重ねてきたフタを一枚一枚剥がす作業から入り、たどり着くまで大変な作業だ。
じぶんに正直に生きる人でありたい。
書評のまとめ【ソバニイルヨ 喜多川泰】オススメ本
人のこころに寄り添うことは難しい
寄り添っているつもりでも、実はその人に寄り添っているのではなく、「『人に寄り添っている』と思っている自分が好き」って表面だけ、寄り添っている風が多い気がする。
本当に、人にこころを寄り添うことについて、もっと考えたい。
もっともっと読み込んで、じぶんなりにこの本を解釈していきたい。
いろんな人とこの本について、語り合いたい。
そんな素敵な本に出会えた。