「障害がないって言われて失望する人たち」
このフレーズだけで、気になって購入。
ぼくが子どもの頃は、「精神の病気」は特殊な病気だと思っていたけど、今は身近に感じている。
だから、余計に気になった。
この記事の目次
本日の読書「『発達障害』と言いたがる人たち」香山リカ
「『発達障害』と言いたがる人たち」本の目的
「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい。「発達障害を取り巻く社会」についての一考察。
発達障害そのものではなく、発達障害にまつわる社会的な現象という着目点が、この本の特徴だ。
「障害がない」と言われて失望する人たち
「障害がない」と言われて失望する人たち
「障害がない」ってわかると失望する。
この本の題名も、ちかい言葉だが、実に深く考えさせられる言葉だ。
これが、まさに社会問題となっており、この本が書かれた理由でもある。
自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」と思いたがっているようなのだ。
できていない自分を真正面から受け止めることができないから、「障害のせい」にして、逃げているだけ。
「障害」だけでなく、他人のせい、社会のせい、景気のせいにして、逃げている人は、ずっと逃げる人生になってしまう。
発達障害、わかりにくさの理由
発達障害の定義や種類についての分類や診断の方法が時代とともに変化し、まだ「これが最終結論」と落ち着いていないということだ。
世界の精神科医がいちばんよく使う診断のガイドラインは、アメリカ精神医学会が作成した「精神障害の診断と統計マニュアル」だ。これは十数年に一度、改定され、現在は第5版が出ている。
第5版だから、頭文字を取って「DSM-5」と略されることが多い。
「発達障害」とは何かということが、まだはっきり結論がでていない。
時代とともに「発達障害」というものが変化していき、精神科医ですらその情報をアップデートしていくのが大変である。
テレビ、マスコミ、ネットを介して僕たちに情報が届くときには、もう何が正しいのかわかりにくい状態になってしまっている。
これを、精神科医にとってではなく、本人や家族の立場で考えるとどうなるだろう。
極端に言えば、いまの精神科を受診して「あなたは発達障害です」と診断された人が、10年後にもし新しいガイドラインがでたら、「これで診断すると発達障害とは言えません」となる可能性もないとは言えない、ということだ。
「発達障害」と診断されていた人が、診断のガイドライン「DSM」が改定されると、次の日から「発達障害ではない」と診断されることもあるというのは、さらに混乱をうみだす要因となっている。
専門家にとっても一般の人にとっても、「発達障害はわかりにくい」と言われる最大の理由は、この「発達障害」と「発達障害ではない人」との線引きがとても難しい、つまりどちらなのかわからないグレーゾーンがとても広いということだ。
専門家にとっても、「発達障害」の判断がむずかしいのであれば、僕たちにとってはもっと難しい。
発達障害とは、生まれつきの脳の機能性障害
発達障害は、脳の機能性障害の一つだ。
「脳の機能性障害」というのは、「脳が本来持っている働きを果たさないこと」を意味する。
発達障害は、「脳の発達の障害」だが、「どこに問題があるかは見えない」こと、「生まれつき」であり「しつけやストレスは関係ない」ことと言える。
発達障害は、「生まれつき」ということは「病気とは違う」ということである。
「病気」というのはもともとなかったのに何らかの原意で起きた変化だが、発達障害は生まれつきなので「あとから起きた変化」ではない。
「発達障害」は生まれつきということも、ぼくは知らなかった。
うまれつきの障害だと、知るだけでも「発達障害」の認識はおおきく変わる。
「発達障害はしつけの問題」ではない。
「『発達障害』は親の育て方が悪い」と批判する人も、世の中にはいるが、「発達障害」は生まれつきの障害なので、否定できる。
発達障害は、これまで定義や分類についてさまざまな変遷や混乱があった上に、さらにいまだにわからないことも多い障害。
医学の世界においては、発達障害は主に「脳の問題」であり、「心(だけ)の問題」ではない、という点については決着がついている。
「発達障害」は、精神的な問題だけでは起こらない。生まれつきの障害があっておきるものであるということは、明確のようだ。
アスペルガー障害とは、今は呼ばれていない。
世界でいちばん使われている診断ガイドラインのDSMは、現在は第5版で2013年5月18日に公開され、DSM-5が現在使用されている。
その前の第4版は、20年前に発行されている。
第4版では「アスペルガー障害」と書かれていたものが、第5版では「アスペルガー障害」といった名前は正式には消えてしまっている。
つまり、第4版のときには「アスペルガー障害」とされてきた人が、今は「アスペルガー障害」という名称はなく「自閉症スペクトラム」という障害として呼ばれるようになっている。
これだけでも、この発達障害という概念がどれくらい流動的かわかるだろう。
いかに「発達障害」のガイドラインが変化しているのかがわかりやすい事例。
以前ドラマでも話題になった「アスペルガー」 。
2013年までは、「アスペルガー障害」という名称だったのが、「自閉症スペクトラム」と名称が変わっている。
発達障害の激増の最大の要因
ここからが本題です。
発達障害の激増の最大の要因は、「これまでそう診断されずにいた人まで、クリニックなどを受診して診断をうけるようになったから」であろう。
あるいは、これまで何らかの問題を抱えて受診する人がいた場合、医者が「そうですね、不安障害でしょう」などと診断していたのが、最近は「実はあなたは発達障害です」とその診断をつける確率が高まっているのかもしれない。
「発達障害」という言葉がひろまり、何かそれにちかいことや不安があれば、病院にすぐいく。
また、「発達障害」を診断する医師も、診断にはグレーゾーンがあるので、医師によって診断の内容が変わってしまう可能性もでてきてしまう。
- 「発達障害への社会的な注目の高まり」によって、診断を求めて受診する親子が増えたということ。
- 私たち医療側の診断の増加、もっと言えばそう診断する必要がないケースにまで「過剰診断」をしている、という問題もそこにはあると考えられる。
「診断名を求める患者」と「それに応えようとする精神科医」の”阿吽の呼吸”により起きるのが、「発達障害の過剰診断」だ。
テレビやネットから影響をうけ、無意識に「発達障害」への過剰に意識しすぎ、患者も医師もともに、「異常」な状態となって、過剰診断してしまっている。
これは、本当にむずかしい問題だ。
発達障害ではなくても、あなたはあなたです
著者の香山リカさんがこの本で伝えたいメッセージ
現代社会では、「平凡である」「どこにでもいる人間である」というのは、生きる価値がないに等しいほどつらいことである。だとしたら、たとえ「発達障害」と「障害」と名がつけられてもよいので、ほかの誰とも違う同一性がほしい。
そういう人たちにとっては、「ADHD」や「アスペルガー症候群」はまたとない”個性”である。
「何者かでなければならない」「たとえ、”障害”と診断されてもいいから、特別な自分でいたい」という彼らと彼らを取り巻くいまの社会の”自分さがし願望”の強さに心から同情して、こう言うのだ。
あなたは、ADHDでも自閉症スペクトラム障害でもありません。つまり発達障害ではありませんよ。
でも、大丈夫です。発達障害ではなくても、あなたはあなたです。平凡はすばらしいことじゃないですか。自分に自信を持って生きていってください。
書評のまとめ「『発達障害』と言いたがる人たち」香山リカ
この本では、「発達障害」の入門書ではなく、「発達障害」にまつわる社会現象にスポットをあてている。
「発達障害」についての香山リカさんの推測や思いも含めて書かれているので、賛否両論出てくるとおもう。
繊細な問題でもある「発達障害」に突っ込んだ話にもなっているので、この本を出版するのはすごいなと思った。
この本は「発達障害」について書かれているが、同じようなことが「病気」でもある。
「病名」の診断名を求める人たちが、ぼくのまわりにもいる。
「病気」を理由に、「仕事ができない」、「学校にいけない」、「人生がうまくいかない」。
本当の理由は、ただ自分が行動していないだけ。
その自分とは向き合わずに、理由を「病気」になすりつけて、「仕方がない」としている。
その人たちは、「悲劇のヒロイン」でいることが、自分の居心地の良い場所にしてしまっている。
無意識のうちに、体調が悪いところを探して、「できない」理由探しの生き方をしてしまっている。
ぼくは、そういう人たちをたくさん見てきた。
ぼくはそのことと重ねて、この本を読んだ。
「発達障害」ははっきりわかりにくいので、さらに大変である。
ぼくはたくさんの人と仕事をする機会が多く、「発達障害」の方ともいっしょに仕事をしたこともあるし、この本にでてくる「『発達障害』と言いたがる人たち」とも仕事をしてきた。
それでも、「発達障害」は生まれつきのものだとは知らなかった。
正しい知識と世の中で怒っている問題を知るには、この本は大変刺激的で学びとなった。
身近にいる困っている人に、自分が納得して、こころ穏やかに接することができるように。