先日は、ベトナム人留学生のアルバイトの面接。
アルバイトの面接で、
ぼくがいつも質問させてもらうことが、
そこで、みんな口をあわせたかのように、回答が同じ。
将来は、自分のビジネスをします。
ずっと疑問に思っていた。
なぜ彼らはいつも同じ回答をするのか?
いろいろ調べて、理由がわかった。
この記事の目次
外国人留学生が目指す夢がいつも同じ理由
外国人留学生が、中国人→ベトナム人に変わった。
10年前くらいは、外国人留学生といえば、中国人が圧倒的に多かった。
面接の電話がなって、外国人だなって国籍を聞くと、ほぼ中国人だった。
それが、ある時から変わった。
2011年の東日本大震災だ。
当時、ぼくのお店にも中国時が4人働いていた。
震災の翌日には、一人の中国人は危険だからと国に帰った。
あとの3人に聞いても、中国のご両親から「日本はどこも危険だ、早く中国に帰って来なさい」と言われていた。
原発の状況が、日本と海外では、全然報道されている内容が違った。
そこから留学生の状況が変わった。
震災の影響で、中国・韓国からの留学生が減ったようだ。
困った日本語学校等の関係が、いろんなところに営業をかけた結果、反応がよかったのがベトナムとネパールのようだ。
そこから、ベトナムとネパール人の留学生が急激に増えた。
またちょうどその時期に、ベトナムから日本にくる際のビザも取りやすくなったことの変更も要因のひとつだ。
名古屋では、今ラーメン屋で求人をかけると、
外国人の留学生の国別でいうと、ベトナム人60%、ネパール人30%、中国人5%、スリランカ人3%ぐらいというのがぼくの感覚だ。
ベトナム人・ネパール人留学生100人と面接してわかったこと
ネパール人留学生が沖縄日本語学校出身が多い理由
ネパールは世界一のヒマラヤの麓にある国だ。
つまり、海がないのだ。
ネパールでは、日本は海に囲まれた国だって、「海」にあこがれを抱かせ、まずは沖縄の日本語学校を斡旋したりもする。
ぼくのお店(名古屋)にくるネパール人は、なぜかしら沖縄の日本語学校卒業生が多くてずっと疑問だったが、理由は「海」だった。
ジャパニーズドリーム??
外国人留学生は、日本語学校関係や斡旋業者に、
「日本に行けば、金持ちになれるよ」
「日本行けば、社長になれるよ」
「日本に行けば、自分の会社が作れるよ」
って、散々洗脳される。
その結果、
「将来の夢は?」
と聞けば、
みんな口を揃えて、
「会社つくります、自分のビジネスをします」
って、思考停止させた人間をつくっている。
あなたにとっての「しあわせ」
って、質問すると、
ここから、どんどん回答が詰まってくる。
面接にくる留学生の「会社をつくりたい」目的は、「お金」だ。
しかし、ここでも分かれる。
目的が「お金」って、答えられる人と答えれらない人に分かれる。
「お金」って素直に答えられない人は、そこにやましさを感じているから、ハッキリ「お金」と言えない。
って、質問すると、
ほぼ答えることができない。
なぜなら、そこがゴールだと思っているから。
もちろん、「いくらお金がほしいのか」って質問をしても、誰も答えることができない。
って、質問をすると全員が、
って笑顔で答える。
ぼくの次のセリフは、
って聞くと、
と答える。
「手段」と「目的」の違い
ここで、いつも「手段」と「目的」の違いについて話をする。
って話をすると、相手は苦笑いをします。
ここが大事です。
今までバスでしか東京行けなかった人が、やっと念願の新幹線にのれたって喜んでいても、「大阪行き」の新幹線に乗ってしまっては、逆方向に行ってしまいます。
よくありがちなことです。
「東京」って目的があったはずなのに、気がついたら「新幹線」に乗ることを「目的」にしてしまっている。
「目的」と「手段」を気がついたら入れ違っている人が多い。
しあわせという目的のために、お金という手段をつかう。
「お金」って、もともとは「手段」だったはず。
「目的」は、「しあわせ」だったはず。
「しあわせ」になるための「手段」のひとつとしての「お金」だったはず。
それが、「目的」と「手段」が入れ違ってしまうから、おかしくなる。
気がついたら、「お金」が目的となって追いかけている。
「東京(しあわせ)」という目的にむかう為の手段だったはずの「新幹線(お金)」が、気がついたら、「新幹線に乗ること(お金)」が目的になってしまっていて、「新幹線」に乗ったのはいいけど、着いたら「大阪」だった。
ってことがある。
結果的に、しあわせになれない。
たとえ、お金を稼げたところで、しあわせになれない。
「目的」さえ、きっちり見て進んでいれば、「新幹線」でなくても「歩いて」でも、時間はかかるかもしれないけど、少なくても近づける。
「目的」って、本当に大事。
この「目的と手段」の話をして、
はじめて、
って、一番のぼくが聞きたい質問をさせてもらう。
もしかしたら、
その人にとってはじめて『自分のしあわせ』と向き合う時間になるのかもしれない。
その答えはすぐにはでない。
その質問の答えを考えることを頭の片隅において、日々を過ごす中で、少しずつ見えてきたり、作られたりするものだ。
ぼくは、その過程が「しあわせ」なんだと思う。
将来の夢は?