やらなくちゃいけないことが何もないと1日が過ごすものではなく過ぎるものになる。「過ぎる」は無意識で消費的、「過ごす」は意志があって生産的。
— はあちゅう (@ha_chu)
ぼくも忙しさを理由に、つい思考停止してしまい、1日が「過ぎて」しまっていることがある。気付いたら1ヶ月が「過ぎて」しまっていることがある。
1年や数ヶ月とかという単位なら、過ぎてしまったことに反省することがあるけど、1日単位なら、今日は仕方なかったで終わらせしまっている自分に気がついた。
この1日単位、時間単位、分単位で、自分をたいせつにして、「過ごす」時間の世界で生きたい。
漢字練習って、覚えるための練習という意識がないと、いくら書かせても覚えません。指導者はそう認識しておくべきと思います。
そして、宿題で漢字を書く回数を決めると、子どもの意識はその回数をこなすことに行ってしまい、覚えるという意識がなくなり、学習がただの作業と化してしまうのです。— 陰山英男 (@Kageyama_hideo)
マニュアルやルールをつくって、お店を運営していると、この「目的」と「手段」が入れ違ってしまうことがある。常に「目的」を意識しておきたい。
行動記録が役に立つ!> だからこそ、言葉になる前の段階の何か、すなわち行動に注目する必要がある、というわけです。ついつい無意識のうちにとってしまう行動。そこにその人の不満が隠れている|売れる商品やサービスを生み出すための着眼点 https://t.co/ATjrLk2Lbd
— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano)
これめちゃいろんなことを考えてしまう。
無意識にとってしまう行動に意識をむけることって、ヒントがたくさんある。でも、その行動に意識をむけるまでが大変。
この言葉のおかげで、自分自身のなにかに気づけそう。
行動記録だけでなく、感情記録もとりたい。
自分が感じたことのその奥にあるこころに、本当の自分がいる。
どんどんパーソナル化するね。自分に向かう。だから哲学や宗教みたいなものがもっと流行る。だってパーソナルだから。自分と自然とか、自分と神とか、自分と自分とはなにかを考える人が増える。時間も増えるし。/堀江貴文×高城剛 Future Report 号外! 2014年2月特別号
— 高城剛 (@takashiro_bot_)
ぼくはどんどん自然、哲学等に興味をもってきているけど、このツイートをみて理由を意識することができた。興味をもつことは自然なながれだった。
「自分はそこの仲間に入れて欲しかったんだな」、「いつか入れてもらえるようになるといいな」、というように、その時々で自分の感情をこまかに、適確に、認めていかないと。変にこじらせてしまうと、寂しい・うらやましいという感情はやっかいだから。まっすぐ、まっすぐ、認めていかないと、だな。
— 山田ズーニー (@zoonieyamada)
先ほどの感情記録の話につながるけど、自分の感情に意識をむけることをたいせつにしたい。マイナスな感情ほど、意識をむけることが苦しいけど、自分とむきあいたい。
人間そのものを構成する食事を変えれば人生や考え方も変わるワケで、なにより自分の価値観の変化にふと気がつき、人はいくつになっても、変化し続ける事ができて、同時に楽しめて、時にはそれを成長と呼ぶ事もあるのだろうか?と考える。
— 高城剛 (@takashiro_bot_)
食事を変えると、本当に思考も変わった。
でも、食事を変えてから、こころの変化があらわれるまで時間がかかる。
また、こころの変化もジワジワとしかあらわれてこない。
気づけるまで続けるには、一人ではなく分かち合える仲間がいると続けやすい、気づけやすい。ぼくはそれを今からつくっていく。
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