思っていることと、
その人が発することばが、
違うって感じたとき、ぼくは苦しくなってしまう。
それを
意識的にやっている人もいれば、
無意識でやっている人もいる。
無意識レベルでそれをやってしまう人は、それが染み付いてしまっているのだと思う。
特に、上から目線の人が、
表側だけ、物腰やわらかそうに演じるタイプの人間が一番ぼくは苦しい。
上から目線では通じにくいとわかっているので、あえてテクニックとしてやさしいことばを操ったり、笑顔の表情をつくって近づいてきたり…。
ビジネスの世界にいると、それが苦しい。
ぼくもまた、弱い人間です。まだ裸の自分だけではたたかえない。
ぼくは自分を守るために無いなりのテクニックで、ぼくはぼくで防波堤を築く。
結局、
そこにあるのは目的がずれてしまった、「我」の押し付け合い。
ただ自分の言いたいことを押し付けたいだけ。
そんなことをしたいのではない。
異なることばを持った人との会話
違う世界に生きている人との会話がむずかしい。
相手とのことばの認識が違うので、
いちいち答え合わせをしないと会話が成立しない。
たとえば、
「従業員」ってことばをつかったときに、
- 相手の認識=会社の歯車のひとつ
- ぼくの認識=なかま
「成功」ってことばをつかったときに、
- 相手の認識=儲けること
- ぼくの認識=しあわせを感じること
この違いだけでも、お店の話をしても会話が通じない。
気分は外国人と会話しているようです。
ひとつひとつのことばの認識を揃えないと、
会話をしてもお互いの理解が異なってしまう。
ぼく自身が、ぼくのことばをきっちり自分で認識していないと、せっかく会話してくれている相手の時間も無駄にしてしまう。
「ことば」のうつくしい人を見ると、
うらやましくも思いますが、ぼくはぼくのことばが使えるように、学んでいきたいと思います。
ぼくは知らないところで、ぼくのことばで人を傷つけてしまうこともあるでしょうし、ぼくのことばで元気をもらえたって言ってくれる人もいるかもしれません。
表現することを続けて、自分のことばをつくっていき、いつか自分のおもいがことばの箱にのせて、人に届けられるように目指していきます。
「おもい」と「ことば」磨いていきます。
「ことば」をたいせつにする人でありたいです。
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