本を読んでいて、こころが動きすぎて読み進められないことがある。
そんな本に出逢ってしまうから、次から次へと新しい本に手をのばしてしまう。
「ことば」のすばらしさに、感動。
この本に出逢えて、ぼくはしあわせな時間を過ごすことができた。
この記事の目次
本日の書評「おかんの昼ごはん」
山田ズーニー 著
この本を選んだ理由「山田ズーニー」
ぼくがこの本を選んだ理由は、山田ズーニーさんの著書を検索していて見つけたから。
山田ズーニーさんの文章の本が大好きだが、エッセイっぽいこの本は少し敬遠していた。
怒られてしまうが、期待していないかっただけに度肝を抜かれた本だ。
著者「山田ズーニー」とは
日本の文章表現・コミュニケーションインストラクター。
進研ゼミの高校生向けの小論文編集長として考える力・書く力に16年間たずさわれ、独立。
『ほぼ日刊イトイ新聞』に「おとなの小論文教室。」連載中。
ぼくが気になったところ(本から抜粋)
- 「選択」は、自分の過去にしかないのではないか。自分がいま、何にひっかかり、こだわり、何を大事にしたいのかは、自分の過去の経験と記憶、小さな選択の集積に問うてみるしかない。
「選択」は自分で行うものだが、やりようによっては、著しく自分で自分の尊厳を傷つけ、自分を激しく損なうことにもなりかねない。だからこそ、仕事上の選択に、人が悩み、苦しむのは当然だ。- それは、あたなの尊厳とアイデンティティの問題である。
- 人は追いつめられたときほど、深く自分と通じることができる。
- 強い意志があるから選べるんじゃない、選んだものが意志になる。意志が人を強くする。
- ひとたび自分と深く通じた人は、自分に要るものと要らないものが明白で、平和なときに素通りしていたものも、逃さずキャッチしつかみ取ることができる。まさに、「選択肢は降りる!」かのように。
- 「医療」と「福祉」と「教育」
- 3つは似ているようんで、全然違う。そこに病気がある限り、「治そう」とするのが医療。一方、病気の人が病気をかかえたまま、いわば、ありのままに、地域や社会にとけこんで、その人らしく生きるのを「支援」するのが福祉だ。教育は、常に「その先」へ導くのが仕事だ。
ぼくは1行目を読んで、動けなくなってしまった。
本の書き出しって大事。
読者を惹きつけられるかどうかがかかっている。
さぁ、今回のズーニーさんの本はどんな出だしかなぁ
って軽い気持ちで本を開いて、1行目を読んだ。
読んだ瞬間に、そんな上っ面な頭で考えていたことが吹っ飛び、「こころ」で読書するスイッチが入った。
1行目のフレーズ
連休、ふるさとに帰ってみると、おかんが「老いて」いた。
この文を読んだだけで、ぼくは映像が浮かんだ。
自分の母親だ。
ぼくも実家の大阪を離れ、今は名古屋に住んでいる。
年に数回実家に帰る。
その度に、元気な両親に出会える喜びとともに、老いていく姿にさみしさも感じる。
ただこの感情を意識することがなかった。
この1行を読んだだけで、あらゆる感情がうまれた。
- 両親が老いていくこと
- いつか両親がいなくなってしまうこと
- ぼくは親の前ではいつでも子どもだと思っているけど、ぼくも気づいたら大人だったこと
- ぼくも成長しているのではなく、老いていっているという事実。
- ぼくの命もいつか途絶えること
ぼくは、この文を読んだだけで、もう満足の域を超えた。
読むことで、こころが激しく動きすぎて、苦しくなる。
子にとって、親の「老い」や「死」は、親から受ける、最後の「教育」なんだ。
「そんな教育は受けたくない!」って言いたい。
もう十分に教育してもらった。
親のまえでは、いつまでたってもぼくは「子ども」。
でも、ぼくは
きっちり未来を見据えて、今という現実を受けとめ、
今できることを精一杯したいと、改めて誓った。
前に進むのだ。
「医療」と「福祉」と「教育」は似ているようで違う。
ぼくは、「医療」と「福祉」は近くて、「福祉」と「教育」も近い関係だと思っていた。
「思っていた」というよりも、あんまり深く考えたことがなかった。
3つは似ているようんで、全然違う。そこに病気がある限り、「治そう」とするのが医療。一方、病気の人が病気をかかえたまま、いわば、ありのままに、地域や社会にとけこんで、その人らしく生きるのを「支援」するのが福祉だ。教育は、常に「その先」へ導くのが仕事だ。
ぼくは、一時期はアルバイト100名を管轄する立場にいた。
いろんなアルバイトがいる中で、ぼくが気になっていたことのひとつが「精神」の病気の人たちだ。
ぼくは最初から、「うつ病」をはじめ精神病を患っている人に対しては、素人ではどうにもできないと思っていて、専門のプロにまかせた方が良いって考えている。
ただ、「うつ病」って診断されていなくても、予備軍みたいな人はたくさんいる。
そこまでひどくない場合であれば、ぼくは何とかしたいと思って向き合う。
この時ぼくは、「福祉」と「教育」とを混同していた。
ぼくは当時は「教育」をしていた。
でも、実際ぼくがおこなっていたことは「福祉」だった。
社会に適応できるように、導こうとしたり、いっしょに前に進もうと行なっていた。
同時に、他のスタッフに対しては「教育」も求められていた。
その根本的な部分をぼくは混同していた。
だから、うまくいかなかった。
この文章に出逢って、『いま』ぼくは気がつくことができた。
ぼくは、「福祉」と「教育」をぐちゃぐちゃにしていた。その結果、相手に伝わらなかった。
まとめ
山田ズーニーさんの言葉
「あなたには書く力がある」
ぼくは、この言葉を本で見つけて、救われた。
それ以来、ぼくはどんな人も「書く」力があると信じるようになった。
ぼく自身も、「書く」力があると信じることができるようになった。
その人にしか書けない文章がある。
「書く」のと同様に、「読む」のもさらに好きになった。
その人にしか書けない文章。その中に、「その人らしさ」を見つけることがたのしいし、学びとなる。
「おかんの昼ごはん」
もっと掘り下げて書きたいことがある。
それくらいズーニーさんの文章は深い。
今日はこの辺で、この本とは一旦離れようと思う。
今感じていることを熟成させたいから。
次、またこの本を開くとき、ぼくは何を感じることができるのか楽しみだ。
何度も何度も読んで見たい本のひとつ。
一般受けしないかもしれないけど、ぼくにはメガヒット度数★★★★★
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