ぼくのお店では、「お見送り」を行っている。
ぼくのお店は、カウンター12席のみのラーメン店。
お客様の帰り際に、できる限り外に出て「ありがとうございました!」と頭を下げてお辞儀することを「お見送り」と言っている。
ここでの「お見送り」の目的について考える。
「お見送り」の目的
「お見送りをして、お客様に『ごちそうさまー』
『おいしかったよ』『ありがとう』って、言われたい。」
スタッフの話を聞いていて、ぼくは違和感を感じた。
何かが違う。
確かに、ぼくも『ごちそうさま』とかお客様に言ってもらえるとうれしい。
でも、
それを言ってもらう為にお見送りをしているのではない。
接客の目的【自分のためにする】
そもそも接客とは、お客様のためにするものと考えるのが普通なのかもしれない。
変態チックなぼくは、最近それが変わったというか、気がついた。
接客は、お客様のためにするのではなく、自分のためにする。
ぼくの今のおもいだ。
接客って、サービスって、何のためにするのかって、ぼくは「ぼくがやりたいからする」のである。
それは決して他人のためではない。
ぼくがやりたいのだ。
お客様に、接客するとき、
・お客様に喜んでいただくためにする
・自分が、接客したいからする
では、おこした行動は同じでも、意味が全然違う。
お客様のために接客したときのゴールは、「お客様に喜んでいただくこと」。
自分のために接客したときのゴールは、「自分が納得する接客をしたこと」。
目的が違えば、当然ゴール(結果)も変わる。
人生の目的を考えたとき、
つい他人の目や他人の評価が基準になってしまい、そこに「自分」を見失っている人をおおくみる。
たった一度きりの人生を生きるのに「自分」を大切にする人でありたい。
ぼくが人生の目的を考えているとき、スタッフが「お見送り」の話をしているのを聞いて、「接客」もいっしょだなって思った。
「自分」を大切にできない人が、「他人」を大切にできるわけがない。